
あの日私は11時からの仕事を控え、いつものように駅に向かっていた。
改札まで来ると、駅員と警察官が話しているのが見えた。
ホームには普段停まっていないはずの、行き先が違う電車が止まっていた。
『何かおかしい』と思ったものの、仕事に遅れる訳もいかず、
別の交通機関で仕事先に向かった。
途中知り合いのディレクターと一緒になり、電車に乗っていたが、
そのディレクターの家族から電話が入った。
「JRで事故があったが大丈夫か?」と心配する内容だったが、
我々はどんな事態になっているか分からないまま、それぞれの現場に向かった。
現場に入って、徐々に事故の情報が入ってきたので、
ラジオで内容を確認していると、脱線事故であると判明。
しかも怪我人も出ているとのこと。
さらに情報に耳を傾けていると、
脱線事故を起こした電車は、普段私が利用していたダイヤの電車だった。
その日、もし通常通り10時から仕事が始まっていれば、
間違いなくその電車に乗っていたし、普段の乗車位置も1両目の前から1つめと2つめの扉の間に立っていた…
仕事が終わり、別の場所に移動した先で事故を報ずる号外を見た。
『車両が潰れている。ここに乗っていたのか?』と思っていると、それは2両目だと判明。
ではいつも乗っていた1両目はどこに?
マンションの地下に潜り込んでいるとのこと…
訳が分からなかった。理解するまでにしばらく時間が必要だった。


あれから4年。
事故後、今も福知山線を利用していないし、
現場に花を手向け、手を合わせにいこうと思いつつ行けないでいる。
走っている福知山線を見るだけで、
胸の辺りがかきむしられ、お尻もムズムズして変な気分になる。
現在では事故原因が解明されて、解決したかのように思われるが、
遺族の方々や、事故関係者にとっては、
いつまで経っても過去のことではなく、時が止まったままなのであろう。

全ての皆様のご冥福をお祈りいたします。合掌。